カンボジア・パンプロジェクトレポート
(2004'6/25〜7/1)長嶋美樹

今回、同行したのは、VIDESからシスター稲川孝子さん、飛田隆三さん、澤摩夜さん、江崎節子さん、国際ソロプチミスト山梨芙蓉から浅沼和栄さん、森嶋敬子さん、小林幸恵さん、そしてカンボジア・パンプロジェクトの我々、パン技術者の加藤晃さん、同じく飯塚良雄さん、金田剛さん(パンステージ・プロローグ チーフ)、私長嶋美樹、以上11名。

6月25日午前便で成田を立ち、タイのバンコク国際空港で乗り継いで現地時間午後6時ごろカンボジアのプノンペン国際空港へ降り立った。バンコクまでが約6時間半でその後プノンペンまでが正味1時間くらい。乗り継ぎの待ち時間がなければ8時間足らずのフライトなのに、なんだかヨーロッパやアメリカよりも遠いところに来たような気がした。同じアジアの住人として顔立ちは私たちと同じような系統の人が沢山いるのに、この距離感は何だろう。
プノンペンでの宿泊先はジュリアナホテル。バブリーなイメージの名前だが、超高級ホテルではないものの、落ち着いていて部屋も清潔でオリエンタルな素敵なホテルだった。(日本円で一泊約七千円ぐらい)
ホテルのレストランにてカンボジアで初めての食事。私は麺のコーナーで中華麺をベトナム風のスープでいただくものを作ってもらい食べてみた。これまた結構美味で、ご当地のアンコールビールとも良く合っていた。
ちなみに、カンボジアの料理は、中国、ベトナム、タイ、インドなどの各国からの影響を受けており、それでいて辛さはさほど強烈でもない。川魚が多く、代表的なものはココナッツミルクで川魚を煮込んだ『アモック』というもの。やさしい風味でココナッツ好きな私にはとても美味しく感じた。

6月26日ドンボスコ・スクールの中に出来た『JACAMセンター』の落成式に招待される。『JACAMセンター』は同行した国際ソロプチミスト山梨芙蓉の方々の出資により建てられた2階建ての宿泊施設で、今後ボランティアの方々が宿泊することができるとのこと。
落成式では、子供たちが、踊りや歌を披露してくれた。歌ってくれたのは「It's a small world」、クメール語(カンボジアの主要言語)と、英語、そして日本語でもかわいらしい歌声が聞くことができた。きっと一生懸命練習したんだろうな、と思うと我知らずグッとくるものがあった。隣に座っていた飯塚さんも写真を撮りながら、涙でファインダーが曇ってしまったとか。この子供たちは親が居なかったり、親は居ても一緒に暮らせる環境でなかったり、色々な事情を持ってこの学校で学び、暮らしている子がほとんどだと聞いた。健気な子供たちの歌声や笑顔は万国共通よるべないものだと感じる。

ランチパーティの後、スクール内の調理室を見せてもらうことに。
パンやお菓子を焼くためのオーブンはガス式で、火力の調節が難しいが、欧州天板が4枚入り、ちゃんと使える。ミキサーは20コートのものと卓上ミキサーがあったが、20コートのミキサーは駆動用のベルトが切れかけており現在は使用できなかった。ベルトさえ替えればちゃんと動きそう、ということで、予定していたマーケットの見学の際ベルトも探すことになった。

まず訪れたセントラルマーケットは、プノンペンの中心街にある活気ある市場で、宝飾品・雑貨・衣料品・食料品と何でもある。が、無数の屋台を切れ目なく合体させたようなその市場は、慣れない観光客がフラッと入ると、巨大迷路の様で元来た通路が分からなくなる可能性もあるという。
現地の方の案内で一同ぞろぞろと市場に入るも、目当てのミキサーベルトは無さそうだったので、早々に引き上げる。バスまで戻るのにもたついていると、ウッサさんがバイクや車が無秩序に行きかう埃まみれの路上を手を引いて渡ってくれる。

その後、今度はオールドマーケットと呼ばれるさらにディープな市場に。先に訪れたセントラルマーケットはシアヌーク政権時代に建てられた比較的新しい市場で外国人相手のお土産物なども扱っているが、オールドマーケットはより生活密着型で、路上に籠を置いてその上に川魚がベロンと並んでいたり、バケツのような容器に鶏か何かの内臓がドンと入って売られていた。他にはフルーツも沢山あった。余談だが、カンボジアはさすがに南国だけあって、パパイヤ・マンゴー・ドラゴンフルーツなど現在日本でスイーツに用いられるおいしいフルーツが豊富な国である。
そういった食材の他に、こちらの市場にも雑貨や衣料品やバイクの部品などなどあらゆるものが売られていたが、またもやミキサーのベルトは手に入らず、見学のみに終わった。

その後、ドンボスコスクールに戻り、調理室を借りて、加藤さんと金田さんによるお菓子づくりが始まる。
エアコンのない調理室。暑いが、「カンボジアの人たちはこれでやっているんだから頑張りましょう。」と加藤さんは早速材料の計量に取り掛かる。金田さんもクルミを刻んだり、材料を混ぜたり、プロの作業が光る。二人から教わりながら、作業を手伝うウッサさんや調理室の職員さんたちも真剣な眼差しだった。
この日作られたのは、ドライフルーツの入ったカップケーキと、スノーボールという口解けの良いクッキー。現地のスーパーマーケットでは薄力粉が手に入らなかったので、中力粉での生地づくりだったが、見事に美味しく焼きあがった。慣れない機具に慣れない材料を使って、一時間半足らずで2品のお菓子を作ってしまった加藤さんは凄いと思った。学校のシスターたちも職員さんたちも大変喜んでいた。

6月27日午前中、市内の王宮や、国立博物館を見学し、午後からトゥールスレン博物館を訪れる。
トゥールスレン博物館は、カンボジアの負の遺産と呼ばれている、ポルポト政権による大虐殺が行われた場所だ。この建物は元々は高校の校舎だったが、975年4月から1979年1月までポルポト派の粛清の舞台となっていたという。
建物の中は当時の尋問室として使われていた鉄のベットが残された部屋や、収容された人々のおびただしい写真や、狭い独房や雑居房が生々しく残されている。暑さのせいだけでない息苦しさを感じる。
辛かったのは、私たちと一緒にその建物にウッサさんとピーロンさんが来て、一生懸命説明をしてくれていたことだ。現在二十歳代の彼女たちの親戚や知り合いの中にも大量虐殺により亡くなった方がいるという。ウッサさんに「辛いのに、説明してもらってごめんね」と言うと、「大虐殺が行われたことは、とても悔しいです。でも、大丈夫、それより気分悪くないですか。」と返って気を遣ってくれたので胸が締め付けられそうだった。

ドンボスコの中でも最も貧しい学校に行ったのは4日目の6月28日。プノンペンの中心部から車で30分くらいの郊外にあるプン・チェレイという村にあり、近くの道路は舗装されていない。
ここは幼稚園児から小学生まで約300人の子供たちが学んでいる識字学校で、私たちが到着すると、みんなで校舎の前の校庭に並んで歓迎してくれた。
ほどなく、子供たちは給食の時間となり、めいめい持参したお皿を持って給仕場へと並んだ。
ここに通ってくる子供たちは家で朝ごはんを食べて来ない。というよりも、食べて来れないのだ。だから、授業が始まる前にまず、給食というわけだ。 この日の給食は、グリーンカレーのようなもの。ご飯に緑色のスープをかける。具はほうれん草のような菜っ葉とお肉が少し。一緒にいただくことはできなかったが、みんなおとなしく並んで盛り分けてもらっていた。
こうした食事代を含めてこの学校の一ヶ月の経費は1000ドルだという。月謝や給食費はもちろん貰わないでシスターたちの運営するドンボスコスクールが賄っている。こうした運営も決して楽ではないのは言うまでもないが、シスターたちの努力に頭が下がるばかりである。
カンボジア・パンプロジェクトの発起人の一人である㈱本牧館の青木茂さんから預かった鉛筆1000本と鉛筆削りをプン・チェレイの校長であるシスター・オプリニイさんに渡すと、大変喜ばれた。小さな黒板をノート代わりにしている子供たちが、近々紙のノートと鉛筆で文字や絵を書けるようになることだろう。

その後、アンコールワットのあるシェムリアップに移動し、観光をさせてもらった。
プノンペンからアンコールワットは国内線の飛行機で約1時間。シェムリアップはプノンペンよりも観光客が多いせいか、街の中はやや潤っているように感じた。
ホテルにチェックインした後、アンコール遺跡群の一つプノンバケンに行った。プノンバケンは夕日を見るのに良いスポットといわれている。遺跡のある丘の上に登るとすばらしい景色が広がっていた。緑に囲まれたアンコールワットや、遠くはトンレサップという湖。本当に美しい国だと思う。
そんなプノンバケンで現地の青年たちとの出会いがあった。18歳くらいの彼ら5人は足元の悪い斜面を観光客が登るのを手助けする為に遺跡の周辺にいるという。もちろん後で報酬を期待しているのだろう。
そんな彼らに、シスター稲川さんは、屈託なく「あなた達、ボランティアとはなんて素晴らしいことをしているの。明日もアンコールワットで会いましょう。」と持ちかける。稲川さんは彼らに、物乞いのようなことをしていてはダメよと説こうとしていたのだ。
彼らは素直に応じ、翌日約束の時間にアンコールワットにいた。そして、遺跡のなかの段差や急な階段を進むのにサポートしてくれた。
見学が終わり、青年たちとの別れ際に、稲川さんが、一人一人に感謝を述べ、「もしもあなた方の中でパンをつくる仕事をしてみたい人がいれば、私たちが学校をつくった時に教えてあげるから、しっかり勉強して、きちんと働いて生きていくことを学びなさい」と伝える。彼らもうつむきながらも神妙に聞いていた。
ちなみに、無理矢理ボランティアにしてしまったものの、やはり無報酬では気の毒すぎるので、VIDESの澤さんが人数分の文具品を買い、プレゼントし、1ドルずつチップも渡した。

カンボジアで、パンづくりを教える学校を創り、運営していくことは、困難なことが多いであろう。設備だって日本のようにはいかないし、技術者の派遣も定期的にしていかなくてはならない。
しかし、失業率の高いこの国で、こういう青年たち一人一人が、何か技術を身につけ、職を得て、明日へ希望を持って次の世代に伝えていって欲しいという稲川さんの考えはとても素晴らしいことだと思った。できることを少しずつしていきたい。


金田武士さんのパンのレポート
プノンペンに到着後、加藤さんと僕はパン実習室を見学しました。
ミキサーが1台(中国製)あり、電源を入れ運転を開始しようとしたが、内部のベルトが切れていて、いきなりのトラブル。手捏ねに変更。ホイロは無い。ガスオーブンは鉄板が上2枚下2枚入るもので、上火は両端に1本ずつの火力があり、下火は5本の火力で手動式。
調理場はクーラーも無く、天井に扇風機が2台。室温は測っていないが、32〜35℃位。道具類は思っていたよりも、揃っていました。

街中のパン屋…プノンペンではおいしいと言われている所に行ったが、冷凍生地を使っていたり、食パンはボソボソ、フランスパンはおふの様な軽い食感。味はどのパンを食べていても同じ感じ。
リヤカー(販売用)にフランスパンを載せて夕方位に出店しているパン屋?も多い。このパンは食べていないが、フランスパンをカットして、その中にアイスを挟んで食べるらしい。(お腹を壊すから食べるなと忠告される)

材料の調達…まず粉マーケットに行き、現地の粉(中力粉?)1袋と薄力粉(日本製)10kgを購入。現地の粉は今の所中力粉のようなもの1種類しかないらしい。 粉の香には独特の香が有り、街中で食べたパンの香りと一緒。バターはスーパーマーケット(高級)で購入。イーストはインスタントドライイースト、水は現地の水を浄化したもの、活性剤は無し。牛乳・卵はマーケットで入手。

パン指導開始…初日は実習時間が2時間しかないため、菓子パン・パイ生地・メロン皮・食パン中種・ハード系(クルミ・レーズン)・オーバーナイトの段取り。 時間が無いため、生徒が来る前に下準備。菓子パン生地を少し捏ねておく。生徒が集まり実習スタート(生徒は全員女の子)

菓子パン生地を生徒分に分割をして、生徒たちとみんなでグルテンが出るまで叩く。生徒はパン生地にほとんど触れたことがなく、手にベタベタとくっつき叩きながら練るというより、ただ叩いているだけだった。ある程度グルテンが出てきて一度まとめ、油脂を混ぜてからまた生徒に叩いてもらった。ミキサーで仕込んでいたら、この体験は出来ないので、手捏ねで良かったと思う。(注意!カンボジアの習慣で、トイレに紙を置いてない所が多く、排泄後左手と水で流す為、「手はキチンと洗う様に!」と念を入れて指導。) 
菓子パンはあんぱん・白パン・小豆はカンボジアのオ小豆を炊いて使用。パイ生地は練りパイ。カンボジアでは、あんぱんが珍しく、シスターたちに大人気。
2日目は、1日中実習に使う食パン・くるみレーズン・メロンパン・ピザ・パイ。オーバーナイトで仕込んでいたくるみレーズンの分割から始まり、食パンの本捏ね。初日と同じ仕込み方で、生徒たちに分散して捏ねた。生徒も生地に慣れてきて、叩きつけていたのが、練れるように上達していた生徒も多かった。

今回のボランティアかつどうは、視察がメインで、調理場、材料、機械、道具類、カンボジアでのパンづくり。
日本とは比較にならない所でした。でも、この経験が、これからの自分の人生に役立つことは間違いないです。
次回もこのボランティア活動に参加したいと思います。
今回の指導で、「パンを捏ねる」を覚えたと思うのですが、パンづくりの知識がほとんどない状態なので、次回は発酵・生地のしめ方(強さ加減)成型・基礎を教えてあげたいです。

言葉はあまり通じないが、パンづくりを通して生徒とのコミュニケーションが取れ始め、互いに楽しくパンづくりを共有できた。
ガスオーブンに火を点けるのに戸惑っていると、「私に任せて!」といった具合にフォローしてくれたり、道具を出してくれたりと、生徒も積極的に行動。
ほとんどジェスチャーで指導。重要なところは通訳してもらい、作ることにかんしては行動で教えて、それを感じて、目で見て、触れて…言葉は要らないです。
授業終了間際、生徒が明日もパンづくり(ケーキづくり)を教えて欲しいと言ってきました。なぜかというと、生徒の指導は2日間のみ。残りの1日はウッサ(パン・ケーキの先生)に指導を予定していたが、希望者を含めて指導することになった。
3日目はタロイモパン・レーズンパン・スポンジ・サブレ。
指導開始。生徒のほとんどが出席(土曜日なので、学校は休み)
生徒の熱心さが伝わってきた。
指導終了後、生徒たちからのお礼の言葉、歌を聞き、無事ボランティア活動修了。

加藤さんパンづくり指導中 パンづくりの指導を終えて
錆びて駆動ベルトが切れていたミキサー プンチェレ小学校の子供たち
バイク天国カンボジア 幼い物乞いの子供たち
ツールスレン博物館の内部 アンコール遺跡群のボランティア(?)の青年たちと金田さん

B&C の9月10月号にも掲載されています。
 

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