○現代製パンへの歩み 明治・大正時代は、パン屋はその作業の多くを職人の技とカンだけに頼っていた。 しかし、昭和に入り国産イーストが普及し始めると、従来の職人制度が崩れ始め、 機械化による大量生産が注目されるようになった。 第二次世界大戦の勃発・激化により経済統制が図られるようになると、パン業界でも 企業整備が行なわれ、個人経営の小さなパン屋は次々に吸収されていった。 空襲によって廃墟となった横浜は、終戦の復興期を迎え、横浜のパン屋たちも次々と 開業していった。電熱オーブン・ミキサーなどの機械導入したパン屋は、より効率よく 生産するパン作りへと変わり、昔ながらの職人気質は薄れていった。![]()
ろばパン(横須賀たからや)・・・昭和10年頃、ろばに車を引かせて パンを売っていた。
ろばパン(星野製パン)・・・昭和10年頃、ろばに車を引かせてパンを売っていた。
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横浜大空襲後の横浜・・・昭和20年(1945)5月29日の大空襲で、 横浜は一面焼け野原になった。
パンを焼く子供・・・小麦粉配給が行われると、自家製パン焼き器を使った家庭製パンが流行した。小麦粉に重曹を混ぜてパンを作った。
学校給食の様子・・・昭和27年、一部の都市だけで行われていた給食が全国で実施されるようになった。横浜では、早くから学給パンを配給していた。
移動ヤミパン売りに集まる主婦k・・・昭和21年(1946)終戦直後、最も欠乏していたのは食べ物だった。ヤミ市には多くの人が集まった。