生麦事件の跡

生麦事件の跡
文久2年8月21日(西暦1862年9月14日)午後2時
薩摩藩主 島津久光の行列を横切ろうとしたイギリス人一行を薩摩藩士達が生麦で殺傷し、この事件を土地に因んで生麦事件と言ったとの事です。
幕府に対する賠償問題から翌年薩英戦争へと発展した


稲荷神社(蛇も蚊も)

蛇も蚊もは、約300年前に悪疫が流行したとき萱(かや)で作った蛇体に悪霊を封じ込めて海に流した事に始まったと伝えられています。
この行事は端午の節句の行事とされています。
毎年6月第1日曜日に行われています。萱で作った長大な蛇体を若者、子供が担いで「蛇も蚊も出たけ、日和の雨け、出たけ、出たけ」と大声に唱えながら町内を担いで回る行事です
生麦旧道(旧東海道)の標識
稲荷神社近くにあって、昔の面影を残す商店(落ち着きますね…)

川崎宿八丁畷市場村鶴見生麦子安→神奈川宿


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